【レビュー】ジョジョ・ラビット
映画レビューを書くのがずいぶんご無沙汰になってしまった。
というのも、プライベートで色々なことがあり(仕事も忙しかった)
ろくに映画を見る時間も、余裕もなかったのである。
今日はアカデミー賞の授賞式。
日本は映画の公開が遅いことで有名(?)だが、毎年オスカーの授賞式後に、授賞式で話題になった作品が公開される。
本来は
公開→話題沸騰→ノミネート→授賞式の流れだが、
日本では授賞式後に話題をさらった作品が公開されるので、どうしても流行に疎い(?)
というわけで、未だ公開されていない作品が多くある中、早めに公開された「ジョジョ・ラビット」と観てきたので感想を書き留める。
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight
【戦争映画の概念を覆す】
この言葉を並べて、どんな映画が思い浮かぶだろう。
きっと、大規模な戦闘シーンがあったり、実に残酷な描写がなされていたり…
目を背けずには見られない映画を想像するかもしれない。
今作は、その想像を真っ向からひっくり返す、実に「面白い」映画だ。
というのも、子どもの視点で描かれていること、ユーモアにあふれていて、ところどころクスリと笑えることが、よいスパイスとなっている。
戦争、と聞くと、重苦しい、哀しい雰囲気が終始漂うものだと考えてしまいがちだが、今作は「笑い」を取り入れることによって、より一層観客をとらえて離さないのだ。
【純粋な子供が一番恐ろしい】
ジョージ・オーウェルの「1984」という小説をご存じだろうか。
大学の授業で課題図書になり読んだのだが、いつかこのような世界がまた出現するのではないかという恐怖に怯えつつ、一度たりとも飽きることなくのめりこんで読んだ。
初版が発行されたのは1949年。まさに戦争が終わって直後のこと。
この小説の中では、行動がテレビで監視されており、「自分の考え」を書き留めておくことすら禁じられている、統制社会だ。
主人公のウィンストン・スミスの近所には、政府の教育を受けた「エリート」な子どもたちがいる。国を支配する「党」の思想で完全に洗脳されており、日々両親を密告すると脅しているのだ。
映画の主人公「ジョジョ」はヒトラー・ユーゲントの一員なのだが、彼がヒトラーを崇拝する姿は1984の子供たちを彷彿とさせた。
ただ、彼には多くの救いの手が差し伸べられていた。
反ナチスの活動をこっそり行っている母親。
ナチスの党員として子供たちを指導しつつも、ジョジョをやさしく見守るクレンツェンドルフ大尉。
そして、「ユダヤ人も同じ人間なんだ」ということを身をもって教えてくれるエルサ。
一度洗脳された子供が自力で立ち直っていくのは難しい。
それもそのはず、今でも世界のあちこちで、洗脳されやすい子供が戦争の道具として使われているのだ。
【結局は人と人の関わり】
ヒトラーユーゲントの合宿で、ユダヤ人がいかに恐ろしい「怪物」なのかを教え込まれるジョジョ。
エルサと初めて会った時も、怖くて怯えて、ほんとにウサギみたいだった(冗談)
けれど、彼女の人となりに触れて、「人として」彼女のことを好きになっていく。
初めはユダヤ人だから、というただの好奇心が理由だったかもしれない。
彼女の強さ、懸命に生きようと、世の中の流れに必死に抗う姿が彼を変えたのだ。
初めは戦争に行きたい行きたいと騒いでいたジョジョも、最後は本物の戦闘シーンを見ておじけづく。あれだけ武器を持ちたがっていたのに、戦争が、「人間同士の殺戮」でしかないということを目の当たりにして初めて気づくのだ。
こんなしょうもないことを……と。
【愛は平和へつながる】
そういう意味でも、エルサと彼を出会わせてくれた母の存在は大きかっただろう。
スカーレット・ヨハンソン演じる母親は、戦時中だというのに明るく、気高く、凛としていて、「絶対に負けるものか」という心意気を感じさせる。
無償の愛が、世界を平和に導くのだということを体を張って示してくれた。
クライマックスは、戦争の理不尽さに思わず拳を握りしめて泣いた。
平和のために戦う人も、結局は兵器や権力によって打ちのめされてしまう。
ただ、武器は相手を「制圧」できても、「平和」は生み出さない。
みんなが「平和」だと思っているのは、制圧した側にとっての安堵でしかなく、制圧された側には大きな悲しみが残る。
真の平和は、愛こそが導くのだと、わたしは信じている。
「武装しなければ世界で生き残れない」と人々は言う。
だから、どの国も核兵器を手放せないでいる。
果たして、核兵器で武装をすることが真の平和へとつながるのだろうか?
ろくに関わり合いもせず、上辺だけの情報で相手を憎んでいないだろうか。
愛することは難しい。相手のすべてを知ろうとし、受け入れる勇気が必要だから。
日本は特に、他国民の受け入れに積極的ではなかったので、余計に排他的になるだろう。
ただ、近年のグローバル化で分かったように、地球には思った以上にたくさんの国があり、文化がある。
地球を守るためにはみんなが手を取り合って生きる必要があるのだ。
自分たちが生きるうえで邪魔なものは「排除する」のではなく
分かり合おうと努力すること
これこそが今、世界に最も求められていることだと思う。