映画は未来のチカラになる

徒然映画記録。映画を観て感じたこと。

【レビュー】Green Book―人間同士の付き合いをしよう―

Green Book

★10.0


Green Book - Official Trailer [HD]

 

今年度アカデミー賞の作品賞を受賞した話題作。3月1日に公開したばかりですが、早速観に行きました。

 

あらすじ

実話をもとにした物語。1962年、ニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を勤めていたイタリア系移民、トニー・”リップ”・バレロンガ。ひょんなことから、彼のもとに「黒人ピアニスト」の運転手としてのスカウトが舞い込んできた。その黒人の名は、ドクター・シャーリー。カーネギーホールの上に住居を構え、アメリカ北部中の有名どころで演奏経験を持つたぐいまれな才能の持ち主だ。しかし、そんな彼が次に演奏ツアーを望んだのは、いまだに黒人への差別が色濃く残る南部の町。二人は、当時存在していたGreen Bookという、黒人用旅行ガイドブックを頼りに、演奏旅行へと出かける

 

【1960年代アメリカでの黒人差別】

 誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、「公民権運動」。「I have a dream...」と謳ったキング牧師や、マルコムⅩなどの名前はあまりにも有名だ。1960年代といえば、アメリカの黒人たちが自分たちの権利を認めてもらおうと必死の闘争を行っていた時代である。それまで黒人たちは「ジム・クロウ」という法の下、公然と差別を受けてきた。白人と黒人は公共の場で席を共にすることはなく、常に隔離されていた。白人にとってこれらの行動は「分離すれども平等(白人と黒人を分離しても、成すことが同じであれば差別には当たらない)」と正当化されていた。いくら、南北戦争を経て奴隷解放宣言が出されたとはいえ、白人たちにとって黒人とは、自分たちよりも知能が劣る人間で、召使や、下級労働をさせるにふさわしい存在である、と考えられていたのである。長きにわたり激しい差別を受けながらも、黒人たちは自分たちの「故郷」であるアメリカに対し必死に貢献をした。その代名詞ともいえるのが、第一次&第二次世界大戦での戦力提供である。この貢献もあって、公的な差別をがいち早く撤廃されたのはトルーマン大統領時代、軍隊内部のことであった。しかしながら、同大統領時代は朝鮮戦争の勃発もあり、軍隊内部以外、国家全体の公民権問題までは手が回らなかったのである。続くケネディ大統領時代に初めて、アメリカは国家として黒人の公民権問題に向き合うこととなった。今作は、まさにその渦中の話である。

 今作に登場するドクター・シャーリーは、そのような時代に生まれ育っていながらも、高等教育を受け、教養と素養が備わった人物であった。ホワイトハウスでの演奏経験があるなど、北部の人々は少しずつ黒人に対しての接し方が寛容になりつつあった。それは、キング牧師がワシントン大行進を行うなど、黒人の訴えが「非暴力」に基づくものであったことも関係しているのではと考えられる。しかしながら、南部では事情が大きく異なった。白人警察官の私情が逮捕に結びついたり、根強くジム・クロウの慣習が残っていたり…黒人にとってはまだまだ生きづらい社会だったのである。

 

【悪しき慣習を変えるには、誰かが“勇気”を出さなければならない】

 今作にはそんなメッセージが込められている。

 まずは、ご存知ドクの勇気である。自らが激しい差別に遭うことを予測できながらも、わざわざ危険な場所へと足を運ぶ。そうでもしなければ、悪しき習慣は変わらないからだ。

 人はある程度の「想像」を以てして、物事に接する。しかしながら、その「想像」は「偏見」と紙一重な場合がある。例えば、黒人はみんな○○を食べている~といったトニーの発言がそうだ。確かに、その想像通りの黒人はいるだろう。けれども、全員がそれに当てはまるかというと、必ずしもそうではない。その人の生き方や考え方は、その人自身に接してみないとわからない。固定的な観念は、時に人間関係の構築の障壁となることがある。

 「わたしはわたしだ」というドクに対し、今まで黒人への偏見を丸出しにしていたトニーは徐々に考え方を改めていく。彼にとって、今まで良いイメージを抱いていなかった黒人の下で働くということは、とても勇気のいる決断であっただろう。それだけではなく、ドクとの交流を通じて社会のゆがんだ側面を目の当たりにし、人間としての分別をわきまえていくようになる。彼はイタリア系の移民であるから、白人の見た目をしていても差別を受けることが多い。「俺のほうがよっぽど黒人みたいな生活をしているんだ!」そう訴える彼に「白人でも、黒人でもないような私は何者なんだ?」と涙を流すドク。誰もが、自分の境遇が一番悲惨だと思いたくなる。けれど、じぶんよりもずっと、多くを我慢してこざるを得なかった人物を前に、トニーは考え方を改めていくのである。

【「黒人」「白人」という枠ではなく、「人間」として】

 多くの勇気を振り絞って出かけた二人の旅は、人種の枠を超え、人間対人間の付き合いになっていく。同じ人間なのになぜ差別されなきゃならない?昔からの慣習?そんなのは知らない。嫌なことにはNoとはっきり言う。それは、人種関係なく認められるべき権利だ。差別を押し通そうとするレストランにNoを突き付けるシーンは爽快だ。

 旅を終えた彼らの関係はBossと雇われ者の関係を超え、良き友になっていた。

 誰かと関係を築くというのは非常に難しい。人は、自分の思考や経験に基づいて他人の行動や心情を想像・判断する。そこには食い違いも多く、理解は並大抵の努力でできるものではない。家族ですら難しいのだから、赤の他人、ましてや人種や育った環境の異なる人であればなおさらである。

 しかしながら、我々は皆同じ人間だ。相違があるのは当たり前であって、理解するために「相手を受け入れる」という行為が必須なのである。はじめから、「○○人は~」というステレオタイプな考え方を以て相手を判断してはならない。

 

【音楽が動かす力】

 私は3歳からピアノを習ってきた。それ以降、吹奏楽、声楽、合唱と様々な分野に手を出しながら、今も音楽を続けている。そんな中、音楽とは、言語を越えたコミュニケーションツールだな、とつくづく思う。言語は、翻訳を伴うが、音楽にその行為は必要ない。楽器を持ち寄って、音を出せば、それだけでコミュニケーションになるのである。そこには、演奏者の自分らしさが表現される。

 トニーは間違いなくドクの演奏に感化されていた。素晴らしいピアノを奏でるドクの姿を受け入れない南部白人たちの姿勢に憤りを覚えるようになっていったと思う。「黒人」というだけで、才能ある人でも否定され、下劣に扱われる。その理不尽な社会の姿に気づけたのは、ドクと出会い、彼の音楽に触れることができたおかげであったと思う。

 音楽で印象的なシーンがもう一つ。終盤、二人で入ったバーで奏でるドクの演奏だ。それまで、上流階級者の下で演奏していたドクはちっとも楽しそうには見えなかった。ところが、この時ばかりは、自分らしさを思う存分発揮して、キラキラの笑顔を見せていたのだ。

 私自身、音楽を続けてきて「楽しさって何なのだろう」と、哲学的な悩みに苛まれることがしばしばだった。誰かのために、とか誰かに必要とされた、とかいう理由を付けて演奏する音楽ほどつまらないものはない。芸術は衝動だ。と言うのが私の結論だ。自分の心が動かされたその瞬間に奏でることに真の楽しさが眠っていると思う。ドクの輝くエガを見て、わたしにもそんな瞬間がほしいなと思った。

 

【人を素直に受け入れる心】

 主人公・トニーはお世辞にもきちんとした教育を受け、教養がある人物、などとは言えない。英語は度々間違うし、汚い言葉遣いだらけだし、しまいには怒ると言葉より先に手が出る。けれど、そんな彼がほかのだれよりも優れている点は、「人を認める力」だと思う。

 偏見だらけだった黒人相手に、次々と良いところを見つけ出す。寂しそうな姿を気に掛ける。いつしか彼の心は「黒人」という障壁を取り払い、一人の人間として魅力的なドクを理解し、受け入れ、守ろうという方へ向かっていた。

 教養がある人ほど、ステレオタイプに陥りやすいと思う。何も知識がない、まっさらな状態であれば、何もかもが新鮮で、新しいことを知れる喜びもひとしおだ。誰かに接するとき、知らずのうちに築かれている「枠組み」をどう取り外すかが、心の距離を縮める大切なカギなのではないかと思う。

 

【まとめ】

『ムーンライト』で初めてみたマハーシャラ・アリ、こんなにも寡黙な人物をかっこよく演じ切れるとは…オスカー俳優にふさわしい名演技だった。

そして『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズからのファンだったヴィゴ・モーテンセン。彼だからこそ、トニーの役が務まったのだと思う。用心棒としての顔から、ドクを思う優しい顔つきまで、表情豊かな演技が感情移入をより一層深めてくれた。

今作の制作にかかわった人物には、過去の発言で物議をかもすなど、残念な行動がみられる人も多くいる。日本では薬物接種で捕まった某俳優の出演作を自粛する動きが多くみられているが、今作は制作陣のことはさておき、現代の人種差別や偏見を考えるうえで非常に大切なメッセージを伝えてくれる。ぜひ、自粛の流れにのまれずに多くの人が見て、何かを感じ取ってくれることを願っている。