映画は未来のチカラになる

徒然映画記録。映画を観て感じたこと。

【レビュー】The Queen's Gambit

皆さま、お久しぶりです。

転職をしてからというもの、時間ができたにもかかわらず

外出自粛で映画館には行けず、

さらに配信サービスでも観る気を失ってダラダラしておりました。

やっと最近、英語の勉強にかこつけて映画鑑賞を再開したのですが

……やっぱりイイね!!!

今度は寝る時間を失っております

……極端すぎるんだよなァ

 

さて、寝る間を惜しんでハマりにハマりまくった一作をご紹介します。

 

「クイーンズ・ギャンビット」

 

……この名前でチェスが思い浮かんだ方はプレイヤーですね?

何を隠そう、チェスの話なんですが、この題名はチェスの試合のオープニングの名前から来ております。詳しくはよくわからないのですが、ギャンビットというのがオープニング形式のひとつで、なかでもチェス駒「クイーン」に紐ついてるとかなんとか…

 

前置きしますが、この作品は私のようなチェス未経験でも十分楽しめるつくりとなっておりますので、ご安心を!

実際にプレイしている人はもっと面白いんだろうなぁ…

 


Creating The Queen’s Gambit | Netflix

 

予告動画みたいなのが見つからなかったので舞台裏動画を置いておきました。

驚きなのが、主演のアナ・テイラー=ジョイはブロンドのロングヘアーで、撮影時はかつらをかぶっているのです…

 

【あらすじ】

主人公のベス・ハーモンは交通事故で母親を亡くし、孤児院へ入れられる。

孤独な日々を送っていたある日、地下室で用務員のシャイベルが一人でチェスをしているところを目撃する。興味を持ったベスは、孤児院で配られる精神安定剤の効果もあり、徐々にチェスのルールを覚え、のめりこんでいく。

しかし、10代半ばで突如、養子としてある家族のもとへ受け入れられることに。

ある日、シャイベルから参加費用を借りて挑んだ州のチェス大会で優勝したことをきっかけに、勝負の舞台はアメリカ全土、そして敵国・ソビエトへと広がっていく。

一方で、勝利へのプレッシャーから、幼少時から飲んでいる薬と酒、たばこへの依存がひどくなり、一時は自暴自棄な生活を送る。

完全に自信を失い、自分の道を見失いかけていたとき、振り返るとそこには、ベスの才能を心の底から認め、応援してくれる大切な人たちがいた。

彼らの支えを胸に、ベスは宿敵・ボルゴフとの決戦に挑む。

 

【感想】

この映画のテーマは

孤独と、孤独への挑戦だと思う。

孤児院育ちのベスは、肉親がいないという点から孤独であることは明らかなのだが、

のめりこんでいくチェスもまた、孤独な競技である。

 

孤独にどうやって打ち勝つのか。

そう考えたとき、手っ取り早く彼女の脳裏に浮かんだのは

向精神薬、酒、たばこ、ときには男だった。

 

幸いなことに、彼女は人生の中で

孤独に耐えかねて命を落とした二人の女性を見てきている。

一人目は彼女の母、アリス。

夫と離れて暮らし、ベスを育て上げようとしたものの、

結局難しく、夫のもとへ訪れる。

だが、門前払いを食らい、彼女は娘とともに心中を図る。

二人目はベスの養母アルマ。

自分に無関心な夫に耐えかねて、向精神薬を飲まないと落ち着かないほどに。

後半はベスの帯同で世界各国を回る楽しさに目覚めたようだったが、

過去の恋の相手と短いロマンスを楽しんだのち、あっさりと亡くなってしまう。

彼女たちの生き方は、方向性は同じでも、ベスと対極に描かれている。

男からの愛を求め続けた彼女たちと異なり、

ベスには没頭できるもの

「チェス」があるのだから。

もっとも、男よりも複雑かもしれないが笑

 

では、ベスはどう孤独に立ち向かっていったのか?

しばらくは向精神薬の力で何とかなった。

でも、アルマを亡くしたり、ボルゴフにコテンパンに打ちのめされたり、

耐えられない悔しさや悲しみの瞬間にはいつも

”誰か”がそばにいてくれた。

残念なことに、ベス自身が彼らの支えに気付くのは

恩師が亡くなったときと、最後のボルゴフとの直接対決の瞬間になってから、なのだが。

 

人は、自分の人生しか生きられない。

そういう意味で、私たちはいつも孤独だ。

でも、その孤独は、他人とのかかわりあいによって

良い方向へと転じていく。

自分は今、一人じゃない。

そう思える瞬間を大切にしていきたいと思った。

 

余談だが、舞台となった時代は冷戦真っただ中の1960年代、

私が映画のテーマで最も愛する時代背景だ。

ドラマチックかつ、服装や音楽が大好物!

 

今回は映画レビューに飽き足らず、

劇中で出てきた歌の歌詞を日本語に訳して

よりこの作品の奥深さを探っていきたいと思いますので

お楽しみに。

 

The Queen's Gambitの視聴はこちらから!

Netflix

 

【レビュー】ハリエット

 

やったーーーーー映画館解禁されたぞーーーーー

 

ということで、解禁一発目に観に行ったのは

「Harriet」

 


Harriet | Harriet Tubman Prays for Her Master to Die | Own it now on Digital, 1/28 on Blu-ray & DVD

 

南部で奴隷として働いていたが、北部へ自力で脱出し、

その後「黒人モーゼ」として多くの黒人奴隷を自由の身へと解放した女性。

 

彼女はアンドリュー・ジャクソンに代わり、新しいアメリカの20ドル札の肖像画になり、再び注目を集めている。

(ちなみに、ジャクソンはアメリカの第7代大統領で、黒人奴隷を使った大農園を経営していた人物。圧倒的人種差別主義者で、インディアンを大量殺戮に陥れた「インディアン強制移住法」を作り上げるなど、ハリエットとは真逆の存在である。すごい皮肉)

 

物語は、ハリエットが農場で働いていた時代から、南北戦争さなかに北軍側として黒人部隊を率いて参戦するようすまでを描いている。

 

主演のシンシア・エリヴォはロンドン、ブロードウェイなどでミュージカル女優としてなおはせる素晴らしい女優。

私自身、来日公演で歌声を聴いたことがあるが、全身に鳥肌が立ち、涙が止まらなかったことを鮮明に覚えている


Cynthia Erivo & Jennifer Hudson - The Color Purple Music Video | THE COLOR PURPLE on Broadway

ため息が出るほど素晴らしい歌声。

 

「モーゼ」として、「GO down Moses」を歌うシーンは、ただ口ずさむだけでもかなりの迫力がある


Louis Armstrong-Go Down Moses (Lyrics+Download)

 

モーゼは旧約聖書の「出エジプト記」などに登場する人物。ヘブライ人のエジプトから脱出を率いたとされる。

黒人奴隷たちは、ハリエットの姿をモーゼになぞらえ、「黒人モーゼ」と呼んだのであった。

 

浅すぎる160㎞の旅

ハリエットは農場からの危険な逃走劇を160㎞かけて行ったのだが、

その描写が

あまりにも

浅い!!!!!!

ものすごく簡単にフィラデルフィアまでたどり着いたかのように感じる。

しかも何回もほかの黒人を連れて帰りに行ってるし……

この物語の核は、彼女が「危険を顧みずに何度も黒人を開放しに行った」ことなのだが、そこには必ず「ものすごい危険が伴った」ことをしっかりと記さないと、

どれだけの偉業だったかがいまいち伝わらない。

 

今作は、ハリエットのてんかん睡眠障害をクローズアップして、

実にスピリチュアルな人物として描いているが(神の声が聞こえて~みたいな)

それが事実であったとしても、もっと彼女の努力によって達成されたと表現してほしかった……

 

でもラストの歌はめちゃくちゃいい

よく、映画を見終わると席を立ってしまう人がいるけれども、

この映画はちゃんとエンドロールまで見てください!!!!!

最後に、Cynthia渾身のテーマソングが待ってますので。


Cynthia Erivo - "Stand Up" - Oscars 2020 Performance

 

今年のオスカーでのパフォーマンス。かっこよすぎて大号泣でした。

 

もしCynthiaがまた来日する機会があったら、絶対聴きに行きたいなぁ。

 

というわけで、Harrietは、がちがちの人種差別映画というより、

Cynthiaの歌を聴きに行く感覚で観に行ったほうがいい(?)

 

風と共に去りぬ、の配信停止を受けて今一度考えてみる

 

2020年6月、こんな記事が発表された

www.cnn.co.jp

 

在宅勤務などの影響により、動画の配信サービスは競争が激化しているが、

そんななか、#BlackLivesMatter に端を発するアメリカ国内のProtestsを受け、

アメリカのHBO Maxが「風と共に去りぬ」を配信停止したという。

映画好きをうたっているわたしだが、今までにこの超長編映画は目にしたことがなく、休みを利用して鑑賞してみた。

この作品の何が問題なのか、私なりに分析してみたい。

 

作品の背景

この作品の舞台は、南北戦争前後のアメリカ南部・ジョージア州

 ※2020年6月14日、ジョージア州アトランタで黒人男性が白人警察官によって射殺された。

主人公の家は、南部では典型的な、何人もの黒人使用人を雇う富裕層だった。

畑では綿花が栽培され、黒人たちが収穫を行っている。

黒人女優として生きる厳しさ

 

ここで、キーパーソンとなる2人の黒人女性を紹介する。

・マミー

いわゆる「黒人女性」のイメージを具現化したような見た目、言動。

恰幅が良く、メイド頭として主人公を含むオハラ家の子供たちの面倒を見てきた。

スカーレットに対してはもちろん、当時なら「畏怖」の対象であった白人男性のバトラーにすら、厳しいことを言ってのける肝の座った女性だ。

 

演じたハティ・マクダニエルは、黒人女性として初めて、アカデミー賞助演女優賞を受賞するが、スピーチはごくごく短いものだった。


Hattie McDaniel winning Best Supporting Actress

 

彼女はシンガーとしてキャリアをスタートさせ、黒人女性として初めてラジオで歌を披露した、素晴らしいキャリアの持ち主だ。しかしながら、この賞を得てからも、彼女に与えられる役は「マミー」=黒人メイドばかりであったという。

つまり、この時代の黒人俳優には、俳優とはいえ、役の選択肢が限られていたわけだ。

さらに、彼女は300を超える映画に出演したにもかかわらず、クレジット表記がなされたのはたった83作品だけだったという。

また、『風と共に去りぬ』の初演は1939年12月15日(金)にジョージア州アトランタで行われたが、当時のアメリカは、一種の人種隔離政策ともいえる「ジム・クロウ法」のもとにあり、Hattieは主要キャストの一人でありながら、この公開が行われた劇場からは出席を拒否されている。

彼女がアカデミー賞をとったことは、アメリカの黒人たちに希望を与えたことは確かだが、一方で「黒人が演じられるのは奴隷の役のみ」という、黒人俳優のステレオタイプを受け入れた側面もあり、必ずしもポジティブな受け取られ方はしていなかった。

また、たとえ黒人が出演する映画であったとしても、ポスターに顔が載らなかったり、授賞式に出席することを断られることも多々あった。

実際、Hattieが受賞してから50年後、ウーピー・ゴールドバーグがオスカーを受賞するまで、黒人女性がアカデミー賞を受賞することはなかった。

 

・プリシー

虚言癖があり、すぐ得意になるが、いざというときまるで役に立たない

ー実際、メアリーのお産の際は「私は何人も取り上げてきた」と威勢よく言ったくせに実はウソ。「先生を呼んできて」と頼まれても、「死にそうな人がいっぱいいて怖い」と、残念ながらまったく役に立たない。

実にかわいそうなキャラクターだが、演じた人はもっとかわいそうだった。

いかにも「まぬけ」に見える甲高い声と行動は、黒人=何もできないというステレオタイプを植え付けてしまったように感じる。実際、プリシーを演じた女性はその後風評被害に苦しんだという。出演したことで、本来称賛されてもおかしくない黒人たちの間でも、「よくもあんなキャラクターを受け入れた」という、落胆の声が多く聞かれたのだ。

 

二人とも、映画に出演したことで、存在感を示した一方、時代のせいもあり、決して前向きな受け取られ方をされなかったのが非常に残念だ。

それにしても、なぜどうして、映画界というのは何事も「ステレオタイプ」化しがちなのだろうか。黒人女性=メイドのイメージは今も根強く残っている。

 

根強く残った「差別表現」

映画化の計画を聞いた全米有色人種地位向上協会(NAACP)は、この映画のプロデューサーと監督に人種的な表現(特に「Nigger」などの侮蔑的な表現)の削除を要求するために奮闘したという。

しかしながら、Niggerという表現や、スカーレットの2番目の夫が白人至上主義団体(KKK)に所属していたストーリーなどは使われなかったものの、結果的に一部の表現(黒人を侮蔑する「darkie」や貧しい白人を表現する「white trash」など)は残ったままだった。

黒人奴隷を描いた映画はほかにも山ほどあるが、

この映画はジム・クロウ法という、人種隔離政策のさなかに作られたこと、

そして差別表現が残ったり、黒人俳優のクレジットがなかったりなど、黒人への配慮に著しく欠けている点から、批判の的になってしまったのではないかと思われる。

 

史実を書くべきか、あくまで娯楽を貫くのか

この物語が描かれた時代、実際には多くの黒人が奴隷として人間以下の扱いを受けていたし、当然のように差別用語が飛び交っていた。

ただ、それを、いち娯楽である映画の中で至極忠実に再現する必要は果たしてあるのだろうか?

私の場合、アメリカ史を一通り学んでいるので、ある程度背景事実を把握しており、大衆芸能として、一部改変が加えられていたとしても納得できる。

映画を歴史的教科書としてとらえるのか、

または誰にでも受け入れられる形に作り上げるのか。

それは人それぞれの価値観だろう。

 

ただ、映画の表現で納得できないことがあれば、

見た人の中には(わたしのように)もっと勉強しようと思う人がいるかもしれない。

映画はあくまで、きっかけにすぎない。だから、不快に思う人が少しでも減るように、たとえ史実と異なったとしても多少の改変は必要なのではないかと思う。

 

皆が平等に、映画を楽しめるようになるには

映画界そのものも、俳優の扱われ方、作品の作り方含め

もっと変わっていかなければならないし、

わたしたち鑑賞者も、様々なバックグラウンドがあることを心得ながら、

多角的な映画鑑賞を求められている気がする。

自分が○○だったら…と考えながら映画を見ると、まるで別な人物になったかのような感覚になり、もっともっと映画の中に入り込めるのでおすすめしたい。

(ちなみに、わたしは映画の世界に入り込みすぎて3日くらい帰ってこれない)

 

 

 

【レビュー】フルートベール駅で #blacklivesmatter

 

#blacklivesmatter

日々様々な場所で叫ばれるこの言葉を聞いて皆さんは何を考えていますか?

 

父が協力隊としてアフリカに行っていたため、わたしは小さなころからアフリカへの興味を持っていました。

大学で英米文化を学ぶ機会を得たときは迷わずアメリカの黒人史を選びました。

だからでしょうか、この問題はわたしにとって他人事ではありません。

 

今日は、白人警察官に射殺された黒人青年の実話を描いた「フルートベール駅で」を見て、この問題に思いをはせます。

 

監督は『ブラック・パンサー』で有名なRyan Coogler。この作品が初監督作です。

主演・Oscar Grant役はMichael B Jordan。彼はのちにブラック・パンサーで悪役を務めます。

 


『フルートベール駅で』予告編

 

 

【あらすじ】

オスカー・グラント(22)は彼女との間に娘を持つ普通の青年だ。2008年の大みそか、彼女から浮気を叱責されて口論になったうえ、遅刻が原因で勤めていた食料品店を首になった。御金の工面に困ったオスカーは、一度はマリファナを売ってお金を手に入れようと目論むも、まっとうな生き方を目指し、すべてを捨ててしまった。

気分の晴れないオスカーは、母親の誕生日を祝ったのち、サンフランシスコで行われるニューイヤーパーティーに参加することとなったオスカーは、母の助言を受け、会場までは電車で行くことに決めた。

電車が遅れるトラブルに見舞われるものの、会場についたオスカーと仲間たちはたのしい時間を過ごす。

だが、帰りの電車内。以前、勤め先の食料品店で買い物を手伝ってあげた女性から「オスカー!」と呼び止められる。その声を聴いてけんかを売りに来た一人の白人男がいた。彼は、オスカーが刑務所に入っていた2年前も突っかかってきた男だった。

男はオスカーと対峙するなり、彼のほほを殴った。そのまま二人は取っ組み合いのけんかになる。

混乱した現場に鉄道警察が駆け付けた。オスカーと仲間たちは別行動で逃げようとするも、警察に抑え込まれる。その間、けんかを起こした張本人の白人男は逃げとおしたままだ。

捕まることに納得のいかないオスカーたちは不満を口にするが、警察官は聞く耳を持たない。ついに「逮捕するぞ!」と、彼らに手錠をかけはじめる。

彼らを押さえつけ、手錠をかけている最中、銃声が響く。

オスカーが、撃たれた。

そして、そのまま彼は帰らぬ人となった。

 

【Opinion】

全米にmovementを引き起こしたGeorge Floyd殺害事件は記憶に新しいが、

アメリカの黒人史、それも近代では、彼以外にも多くの人物が白人警察によって殺害されてきた。この映画の主役、Oscarもその一人である。

今から10年前、すでに一部の人はスマホを所持しており、この事件は目撃者によって撮影されていた。結果的にこの映像が、Oscarを殺害した警察官を逮捕するきっかけとなったのだが…

判決は懲役2年。でも、11か月で釈放。誰がどう見ても納得のいかない結果であった。

 

この映画は「物語」ではなく、実際に起こった事件に基づいている。

百歩譲って白人警官が「誤発射」したのだとしても、

簡単に黒人相手に銃を取り出すことができる、その環境がまず信じられない。

実際の映像を見ても、Oscarたちがものすごく暴れている形跡はない。

威嚇行為なのだとしても、人を殺めかねない武器を簡単に取り出し、人に向けられる、そんなことがあっていいのだろうか。

 

Oscarは自分が刑務所にいた時期を回顧し、後悔していた。もっとまともな生き方がしたいと苦悩していた。まだ22歳。未来にはいろいろな可能性が満ちていただろうに…。

 

「Where is daddy?」

問いかける娘のタチアナが何かを悟ったように母を見つめるラストシーンは、涙が止まらなかった。

人の命を何だと思っているのか。黒人だからどうでもいいのか。

そう、思わざるを得ない、扱いの違いに、怒りと悲しみが止まらない。

 

今、アメリカで起こっている問題を遠い目で見ている人、そもそも全く関心のない人へ。

 

私たちは、こうやって、日本で日本人として暮らせていることがものすごく幸せなんです。

 

彼らは、アメリカで生まれ、アメリカ国民として生きていたとしても、

「祖先がアフリカからやってきた」「奴隷だった」バックグラウンドにより、いまだに部外者のように扱われ、

決してアメリカ国民の一員として「正しく」認められているわけではないのです。

常に冷たい目線にさらされ、周囲で悪いことが起これば真っ先に加害者だと疑われる。

職も得られず、結局安給の職や裏社会の職に手を染めるしかなくなる。

そんな、つらい思いを、はるか昔から経験しているのに、

今もまだ、虫けらのようにおさえつけられ、

「呼吸ができない」と訴えても、決して開放してもらえず、

息絶えるのです。

 

そんな国が、「Great America 」などという資格がありますか?

そして私たちはそんな国と仲良く同盟を結び、

「おともだち」として何食わぬ顔で見ている。

こんなことがまかり通ってよいでしょうか?

 

この問題を「自分には関係ない」とするなら、

それは差別を平気で続ける人たちの側に加担しているのと同じことです。

 

何度でも言います。

これは他人ごとではありません。

 

いまいち現状がつかめない人はぜひ、この映画を見てください。

10年前の出来事を描いたこの映画と同じようなことが、今起きているのです。

 

 

 

【レビュー】ブラック・クランズマン

 

以前から見たいと渇望していた映画が今日、やっと見れた。

何を隠そう、

Netflixに契約したのである。

どの動画サイトもそれぞれいいところがあって、一つに絞れないのが難点だ…

 

そうだ、毎日映画を見ればいいんだ!

 

そんなわけで、

ついに念願かなって見ることができました『Black Klansman』


映画『ブラック・クランズマン』特報

 

黒人警察官が白人(ユダヤ系)警察官と組んで、白人至上主義団体「KKKクー・クラックス・クラン)」に潜入調査を行うストーリー。自らも黒人である名監督、スパイク・リーの至高の作品であり、彼が初めてオスカーを受賞した記念すべき作品です。

一貫してシリアスな雰囲気なのですが、ユーモアなシーンは愉快痛快。

「共通語と黒人英語をきれいに話し分けられる」と豪語する主人公のロン(ほんとにそうかは甚だ疑問だが)。そんな彼にまんまと騙される白人たちのまぬけなこと!

はじめは潜入捜査に乗り気ではなかったフィリップ(ユダヤ系)も、KKKの人々とかかわるうちに「ユダヤ人として生きてこなかったが、猛烈に意識するようになった」と吐露。

差別を経験することで、人は集団に属する普遍的な存在から、「個」を強制的に意識させられるのだと思います。何かが周りと違う。だから差別される。一見フィリップは白人と変わりなく、人生で困った場面があるとすれば名字くらいだったでしょう(ユダヤ的な名字を持っている)。ただ、KKK接触するうちに、世の中には猛烈なユダヤ人Hateがまだまだ根深く残っていることをはっきり意識させられます。

そこでユダヤ人の血が入っていることを公開し、白人と同化したいと願うのではなく、一人のユダヤ人として、自分の出自を強烈に意識するというところが、彼らの強さだなと思うのです。だからこそ、フィリップは危険を冒してでもこの任務を最後までやり遂げます。

ふと、考えます。

もしこの物語における「黒人」「ユダヤ人」が「アジア人」だったら?

わたしたちはここまで種族を意識し、団結し、立ち上がることができたでしょうか。

今、コロナウイルスの脅威を前に、世界各地で意味のないアジア人ヘイトが横行しています。彼らにとってみれば、日本人、中国人、韓国人はみな同じ顔に見えるので、十分私たちもヘイトにあう可能性があるのです。そんなとき、わたしたちならどうやって立ち向かうでしょうか。

差別は、他人の違いを認められないところから始まります。

そこに、自分にとって都合の悪いことー公民権運動時代なら、白人の特権がなくなるとか、現代ならコロナウイルスがばらまかれたとか、移民のせいで職が失われたとかーを言いがかりとして、差別を助長するのです。

白人の「俺たち一番」思想を支える自信はどこから湧き出てくるのかと不思議で仕方ないし全く理解できないのですが、残念ながら何年たってもこの思想だけは払しょくできません。現にKKKは今も現存しています。

この物語はキング牧師ら有名な黒人運動家が活躍していた「公民権運動」の時代にあたるのですが、現代…そう、トランプ政権になってからのアメリカへ警鐘を鳴らす意味も持ち合わせています。平気で人種差別発言を繰り返し、その言動を熱狂的に支持する国民がいる……あまりにも強烈で、悪夢のような世界が成り立っていて、気が卒倒します。ただ、これは現実です。

「どうせ1970年代の出来事」とタカをくくっていたら大間違い。現代は、その頃へと回帰しつつあるのです。

もうすぐアメリカ大統領選。この国の行方はどうなるのか、さっぱり予想がつきません。ただ、仮にも日本は(良くも悪くも)アメリカと付き合いが深い国。傍観で済ますことはできません。

友人とはただ仲が良いだけでなく

困ったときに助け合い、間違いを正しあう仲だと思います。

今の日本は、アメリカに対して「No」を表明できているでしょうか。

核の傘に頼り、唯一の被爆国が核禁止条約に批准しない。

友人として、アメリカの暴走を食い止める努力が必要だと常々思います。

いろいろなことを考えさせられる映画。

すべての人に見てほしい一作です。

 

 

【レビュー】リメンバー・ミー

昨日、『タクシー運転手』を観た後、脳内を韓国語がぐるぐる回って大変だったので、今日は明るい気分になれるものを…と選んだのがこれ。


映画『リメンバー・ミー』日本版予告編

そう、

まだ観てませんでした!!!!

 

作品の世界で毎年迎える「死者の日」は日本のお盆からインスピレーションを得たのだとか。

北海道って本州ほどお盆の行事を細かくはやらないのだけれど、

その時期はご先祖様たちが、この映画の世界みたいに生者の世界を楽しんでいるのかなぁと思ったら、お盆を迎えるのが楽しみになってきた…!

 

【あらすじ】

「音楽のために家族を捨てた」と思われているリヴェラ家の男性。

主人公ミゲルにとっては曾曾祖父にあたるのだが、祭壇に写真が飾られておらず、どんな人なのかを唯一覚えているのは娘のココ(曾祖母)だけ。

そのココも健忘症気味で父のことを忘れつつある……

音楽のせいで一家が台無しになったと、リヴェラ家では音楽が禁止に。

そんなこと言ったってねぇ…街中に音楽溢れてるのに、無しで生活するとか無理じゃない?(笑)

自分が尊敬してやまない音楽家のギターが、実は切り取られた写真の男性が持つギターと同じ、つまり彼は自分のご先祖なのでは!!

だったら自分も音楽家になれるはずだ!!!

彼の正当な子孫としてギターをお墓から盗み、奏でると、不思議な世界にタイムスリップ!

そこはなんと、死んだ者だけがたどり着ける「死者の国」だった……

 

【家族と夢ははかりにかけられない】

家族を大事にしようとするがゆえにひずみが生じてしまったリヴェラ家。

夢を追うことと、家族を大切にすることは、同じ机上では語れない。

「家族って支えあうものでしょう?」

ミゲルが言った言葉が胸に刺さる。

何処まで行っても血を分け合った家族だし、愛を誓った夫婦なのである。

家族は手を取り合ったその時に、愛を捧げたその時にこそ、真価を発揮するのかもしれない。

 

あんまり書くとネタバレになるので、抑え気味で(笑)

やー、ほんとに、涙もろくなりました(笑) ラストは大号泣で服がびしょぬれ!(笑)

音楽と、家族と、自分の大好きなテーマで、カラフルな映像と素敵な音楽に彩られ、どっぷり『リメンバー・ミー』の世界観にハマりこみましたね(単純)

 

あ、そういえば

サルードス!アミーゴスはもうドナルドじゃないんだった……

ちぇっ

【レビュー】タクシー運転手 約束は海を越えて

『パラサイト』ですっかり韓国映画の、というか主演のソン・ガンホ氏の魅力の虜になってしまい、今更2017年公開の『タクシー運転手』を鑑賞(UNEXT)。

 


韓国No.1大ヒット『タクシー運転手 約束は海を越えて』予告(韓国スター監督陣コメント入り)


『タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜』本編映像

 

恥ずかしながら、光州事件については知識が皆無に等しく、

また勉強する題材を与えてもらえたと心底嬉しく感じる。

日韓関係が冷え切る今こそ、韓国について学ぶのは大切だと思うし、

ご近所国として、憎みあうのではなく、手を取り合うための近道として、

「知ること」から始めてみたいと思う。

 

【予備知識・私と韓国】

・韓国人の友人が複数いる

・Seoulに2泊3日で滞在するも、韓国語の知識ゼロのため、今どこにいるのかすらわからない状況で旅行していた(友人と韓国人の友人に連れまわしてもらった)

・ハングルは読める程度

【予備知識・光州事件

1979年に当時の大統領、朴正熙(パク・チョンヒ)が暗殺されるまでの18年間、韓国は軍事独裁政権だった。

ところが、軍事独裁政権が幕を下ろしても、一部勢力は粛清クーデタで政権の実験を握り、学生らの民主化デモを弾圧した。

軍の実権を握っていたのは全斗煥(チョン・ドゥファン)。1980年に「非常戒厳令」を全国に発令し、金大中や金泳三などを連行した。

そんな中、民衆のデモは過激さを増す一方。今作の舞台となった「光州」は南部の街で、特にデモが激しかった。

映画でも登場するが、電話を通じなくしたり、メディアの情報統制が行われたため、真相が明らかになるには長い時間を要したのである。

それもそのはず、軍人たちによる民衆弾圧はすさまじいものだった。丸腰の市民をこん棒で殴りつけたり、蹴り上げたり、挙句射殺したりする。その光景は直視できないほど残酷であった。

最終的に認定された死傷者は、死者154人、行方不明者70人、負傷者1628人という(5.18記念財団より)。

このような暴行だけではなく、2018年には軍人により強姦されたという新たな証言が出るなど、いかに残虐非道なことが行われてきたかが徐々に明らかになっている。

韓国政府にとっては汚点の歴史かもしれない。

ただ、民衆にとっては「希望の光」を求めて戦ったあかしだ。

私がこの映画を見るまで知らなかったように、日本はもちろん、韓国にも事実を知らない若者がたくさんいると思う。

先人たちが戦ったからこそ今の私たちがある。そんな事実を改めて突きつけられる。

 

【タクシー運転手】

皆さんはタクシー運転手に対してどんな印象を抱くだろう。

どんな人が乗務員になっているだろうか。

「やむを得ず乗務員をしている事情がある人」「リタイアしたおじいさん」

「安月給」「酷な仕事」

そんなイメージがあるかもしれない。

近年は新卒採用を行ったり、女性ドライバーや若者を積極的に採用してイメージは少しずつ変わりつつあるが、マイナスイメージのほうが多いかもしれない。

実は、わたしは仕事でタクシー運転手と関わる機会が多く、

「タクシー」と聞いてついてくるマイナスイメージがどうにか払しょくされないかなと陰ながら願っている一人であったりする。

 

ただ、この映画を見ると

間違いなくタクシー運転手への見方が変わる。

「なんだ、めちゃくちゃかっこいいじゃん」

って言いたくなる。

 

実際、光州市ではタクシードライバーが集結して「タクシーデモ」が行われた。

民衆のために立ち上がるタクシー。

めちゃくちゃかっこいい。

そもそも、タクシーは小回りが利いて、どこにでも行くことができる素晴らしい公共交通機関だ。

タクシー運転手はどんな悪天候でも頑張っているので、ご高齢の方に限らずもっといろんな人に使ってもらいたい(?)

 

【ジャーナリズムの使命】

話しが映画からそれてしまった。

今作はタクシードライバー、実はめっちゃかっこいいじゃん

という要素のほかに(?)

ジャーナリストの使命がひしひしと伝わる。

「俺が行かなきゃ誰が行くんだよ」っていうドイツ人ジャーナリストが

「宣教師」と偽って入国したおかげで、まぁ実にいろんな人が犠牲になるわけだが…

彼らが命を張って真実を伝えたおかげで、国際的に軍部の弾圧が批判されるようになり、この事件は収束へ向かっていったのは確か(その間いろいろあったみたいですが割愛)。

ただ、この時それが成り立ったのは

・ジャーナリズムの力が信じられていたから

そして、なによりも

・インターネットが主流じゃなかったから

だと思う。

 

今、もしこのような弾圧が起きたら、みんなスマホで隠し撮りやらなんやらして、一気に世界中に拡散するでしょう。(一部ネット規制されているC●inaとかは除く)

この時代じゃそんなのありえない。

そもそもフィルムカメラなので!!!!!!!!!

フィルム知ってる???「現像」とか聞いたことないでしょ2000年代生まれ??

 

だからこそ「伝える」という使命を持った人が非常に大切だった。

彼らこそが世の中を変える希望だった。

 

ところが今の世の中はどうだろう。

一般市民でもトクダネをつかめて、SNSに投稿したとたん、そこにメディアが群がる始末。

「○○TVなんですが、その動画を使わせてもらえませんか」って聞いたことあるでしょ。

だれでも、ジャーナリストを気取れるようになった。

だから、世の中と、ジャーナリズムの価値は、日増しに変わってきているのだと思う。

人が何を信じるかは自由に選択できるようになった。たとえそれがデマでも、選ぶのは本人次第。必ずしも大きなメディアが真実を伝えているとは限らなくなり、むしろ市民目線の方が共感を得られるようになっている。

 

だから、この映画の「ジャーナリズム」と現代では、大きく質が異なると私は感じる。

【おにぎり】

この映画の大好きなシーンは、

主人公のドライバーが、Seoulに帰る途中で立ち寄った食堂でのシーンだ。

光州を懸命に走ったおかげで空腹の彼は、麺をダマになりながら必死ですする。その様子を見かねた食堂の女性がおにぎりを手渡してくれる。

口にしたとたん、思い出すのは

光州でデモに参加していた女性がくれた、おにぎり。

じんわりと涙が浮かぶ。

彼の心の葛藤が、映像から伝わってくる素晴らしいシーンだ。

しかもおにぎりってところが泣ける。

おにぎりのいいところは、「手で握る」ところだ。愛情が伝わってくる。

このシーンをきっかけに、彼は光州へと戻っていく。

食事のシーンは人が一番素直になれるというか、よい意味で警戒心のない場面。

私は映画を見るとき、食事のシーンが一番好きだ。

 

【最後に】

このように、史実をまっすぐ伝えようとするリアルな映画は今後の財産だと思う。

邦画をあまり見ないので詳しくはわからないが、日本ももっとこういう映画を作ってよいのではと思ったりする。

この映画を通して、韓国の歴史により興味を持ったし、案外韓国語の発音って面白いなと俄然韓国が気になるようになった。

次に韓国へ行くときは韓国語をしゃべれるように…なり…たい……(なれるのか)