映画は未来のチカラになる

徒然映画記録。映画を観て感じたこと。

【レビュー】ブラック・クランズマン

 

以前から見たいと渇望していた映画が今日、やっと見れた。

何を隠そう、

Netflixに契約したのである。

どの動画サイトもそれぞれいいところがあって、一つに絞れないのが難点だ…

 

そうだ、毎日映画を見ればいいんだ!

 

そんなわけで、

ついに念願かなって見ることができました『Black Klansman』


映画『ブラック・クランズマン』特報

 

黒人警察官が白人(ユダヤ系)警察官と組んで、白人至上主義団体「KKKクー・クラックス・クラン)」に潜入調査を行うストーリー。自らも黒人である名監督、スパイク・リーの至高の作品であり、彼が初めてオスカーを受賞した記念すべき作品です。

一貫してシリアスな雰囲気なのですが、ユーモアなシーンは愉快痛快。

「共通語と黒人英語をきれいに話し分けられる」と豪語する主人公のロン(ほんとにそうかは甚だ疑問だが)。そんな彼にまんまと騙される白人たちのまぬけなこと!

はじめは潜入捜査に乗り気ではなかったフィリップ(ユダヤ系)も、KKKの人々とかかわるうちに「ユダヤ人として生きてこなかったが、猛烈に意識するようになった」と吐露。

差別を経験することで、人は集団に属する普遍的な存在から、「個」を強制的に意識させられるのだと思います。何かが周りと違う。だから差別される。一見フィリップは白人と変わりなく、人生で困った場面があるとすれば名字くらいだったでしょう(ユダヤ的な名字を持っている)。ただ、KKK接触するうちに、世の中には猛烈なユダヤ人Hateがまだまだ根深く残っていることをはっきり意識させられます。

そこでユダヤ人の血が入っていることを公開し、白人と同化したいと願うのではなく、一人のユダヤ人として、自分の出自を強烈に意識するというところが、彼らの強さだなと思うのです。だからこそ、フィリップは危険を冒してでもこの任務を最後までやり遂げます。

ふと、考えます。

もしこの物語における「黒人」「ユダヤ人」が「アジア人」だったら?

わたしたちはここまで種族を意識し、団結し、立ち上がることができたでしょうか。

今、コロナウイルスの脅威を前に、世界各地で意味のないアジア人ヘイトが横行しています。彼らにとってみれば、日本人、中国人、韓国人はみな同じ顔に見えるので、十分私たちもヘイトにあう可能性があるのです。そんなとき、わたしたちならどうやって立ち向かうでしょうか。

差別は、他人の違いを認められないところから始まります。

そこに、自分にとって都合の悪いことー公民権運動時代なら、白人の特権がなくなるとか、現代ならコロナウイルスがばらまかれたとか、移民のせいで職が失われたとかーを言いがかりとして、差別を助長するのです。

白人の「俺たち一番」思想を支える自信はどこから湧き出てくるのかと不思議で仕方ないし全く理解できないのですが、残念ながら何年たってもこの思想だけは払しょくできません。現にKKKは今も現存しています。

この物語はキング牧師ら有名な黒人運動家が活躍していた「公民権運動」の時代にあたるのですが、現代…そう、トランプ政権になってからのアメリカへ警鐘を鳴らす意味も持ち合わせています。平気で人種差別発言を繰り返し、その言動を熱狂的に支持する国民がいる……あまりにも強烈で、悪夢のような世界が成り立っていて、気が卒倒します。ただ、これは現実です。

「どうせ1970年代の出来事」とタカをくくっていたら大間違い。現代は、その頃へと回帰しつつあるのです。

もうすぐアメリカ大統領選。この国の行方はどうなるのか、さっぱり予想がつきません。ただ、仮にも日本は(良くも悪くも)アメリカと付き合いが深い国。傍観で済ますことはできません。

友人とはただ仲が良いだけでなく

困ったときに助け合い、間違いを正しあう仲だと思います。

今の日本は、アメリカに対して「No」を表明できているでしょうか。

核の傘に頼り、唯一の被爆国が核禁止条約に批准しない。

友人として、アメリカの暴走を食い止める努力が必要だと常々思います。

いろいろなことを考えさせられる映画。

すべての人に見てほしい一作です。