映画は未来のチカラになる

徒然映画記録。映画を観て感じたこと。

【レビュー】パラサイト

祝!!!オスカー作品賞受賞!!!

 

ライブで見ていて思わず歓声を上げてしまった。

「アジア人初の~」という言葉で同族意識を持ちたくはないのだが(あくまでこの作品の関係者の功績が称えられるべきなので)、

それでもやっぱりうれしい………

ていうかそもそもオスカーのレッドカーペットにアジア人の顔がたくさん並んでることが既にうれしい……

 

大学でアメリカの黒人史をかじった身からすると、黒人差別についてはいまだにしがらみが続いていて、歴史上でもたくさん衝突をおこしてきているから、社会問題として頻繁に取り上げられる。

でも、対アジア人は、あまり話題にならないというか。きっと根強い差別(下劣だとみられているとか)があると思うんだけど、なかったことにされているというか。

今回、コロナウイルスの流行で、今まで表ざたになってこなかった「アジア人差別」が明確に表れてきているから、今回の受賞は実にタイムリーだったと思う。

確かに、アジアの国々は西欧に支配されて抑圧されてきた国々だから、そこから這い上がるまでには時間を要したし、ずっとその背中を追ってきた。

下に見られる時代から、ようやく並列へ一歩を踏み出したと思うと、感慨深い。

 

長くなったが、パラサイトの感想へ。


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

 

【韓国の格差社会の現実】

「韓国では大学を出たとしても職にありつけない」

そんな話を、韓国人の友人から聞いたのは、最近の話ではない。

だから、彼らは必死で他言語(英語、日本語、中国語)を学んで、海外へ働きに出る。

生ぬるい生活を送っている自分とは大違いだなぁ、なんてぼんやり考えていた。

主人公の家族一家も、それぞれ(金持ち一家をだませるくらいの)能力を持っているにもかかわらず、無職。

大雨でダメになってしまうレベルの半地下に住んで、慎ましい(?)生活を送る。

日本にも、表に出ていないだけで貧困家庭は山ほどあるのだが、日本の格差と比べても韓国の惨状は酷い。

人は、危機に瀕しないと全力を出せないので(私はその典型)、そういう意味でも日本の生活、人生設計は生ぬるいなぁと感じる。

 

【家族のきずなは収入に比例するのか】

金持ちの一家の生活は実に素晴らしい。

広い家。いつでも好きなものが食べれて、欲しいといったものはすぐに買ってもらえる。

では家族は幸せなのか?

 

心に引っかかったシーンに、パク・ドンイク(社長)とキム・ギテク(タクシードライバー)の社内でのやり取りがある

 

「奥さんを愛していますものね」

「……ハハハ、そうだな、愛しているよ」

 

我々は「愛の象徴」ともいえる夜の営みも見せつけられるのだが

そこに、愛はあるのだろうかと疑ってしまった

形ばかりの愛。上辺だけの愛。

外では優秀なIT社長として名声を得ており、美しい妻と二人の子供がいる。

ただ、教育方針や家の事情にはほとんど関わってこない。おまけに、帰りが遅い。

お金だけで愛は生み出せないというのを改めて教えられた気がする。

 

【におい】

どれだけ見た目や口調を偽っても変えられないもの。

それが「におい」だったとは。

確かに、香水を付けたり、よい香りのする柔軟剤を使ったり、

部屋を良いにおいに保てる人は、みんな富裕層なのかもしれない。

見た目は偽れても、生活環境は偽れない。

そんな事実をまじまじと突きつけられる。

 

【窮地に立たされた時、あなたはどうする】

ネタバレになるのであまり書かないが、

もし、自分が窮地に立たされていて、

同じような境遇の人間を発見したとき

あなたはその人と手を取るだろうか。

それとも、その人を蹴落として、自分だけでも這い上がろうとするのか。

「現実は甘くない」

人間のリアリティをとことん追求する、

恐ろしいほどに人間臭い映画。

観た後、震え上がるのは、人間の現実を突きつけられるからなのかもしれない。

そんなことを考えさせられる映画だ。

 

【レビュー】ジョジョ・ラビット

映画レビューを書くのがずいぶんご無沙汰になってしまった。

というのも、プライベートで色々なことがあり(仕事も忙しかった)

ろくに映画を見る時間も、余裕もなかったのである。

 

今日はアカデミー賞の授賞式。

日本は映画の公開が遅いことで有名(?)だが、毎年オスカーの授賞式後に、授賞式で話題になった作品が公開される。

本来は

公開→話題沸騰→ノミネート→授賞式の流れだが、

日本では授賞式後に話題をさらった作品が公開されるので、どうしても流行に疎い(?)

というわけで、未だ公開されていない作品が多くある中、早めに公開された「ジョジョ・ラビット」と観てきたので感想を書き留める。

 


JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight

【戦争映画の概念を覆す】

「WW2の映画」「第二次世界大戦下のドイツ」「ヒトラー

この言葉を並べて、どんな映画が思い浮かぶだろう。

きっと、大規模な戦闘シーンがあったり、実に残酷な描写がなされていたり…

目を背けずには見られない映画を想像するかもしれない。

今作は、その想像を真っ向からひっくり返す、実に「面白い」映画だ。

というのも、子どもの視点で描かれていること、ユーモアにあふれていて、ところどころクスリと笑えることが、よいスパイスとなっている。

戦争、と聞くと、重苦しい、哀しい雰囲気が終始漂うものだと考えてしまいがちだが、今作は「笑い」を取り入れることによって、より一層観客をとらえて離さないのだ。

 

【純粋な子供が一番恐ろしい】

ジョージ・オーウェルの「1984」という小説をご存じだろうか。

大学の授業で課題図書になり読んだのだが、いつかこのような世界がまた出現するのではないかという恐怖に怯えつつ、一度たりとも飽きることなくのめりこんで読んだ。

初版が発行されたのは1949年。まさに戦争が終わって直後のこと。

この小説の中では、行動がテレビで監視されており、「自分の考え」を書き留めておくことすら禁じられている、統制社会だ。

主人公のウィンストン・スミスの近所には、政府の教育を受けた「エリート」な子どもたちがいる。国を支配する「党」の思想で完全に洗脳されており、日々両親を密告すると脅しているのだ。

 

映画の主人公「ジョジョ」はヒトラー・ユーゲントの一員なのだが、彼がヒトラーを崇拝する姿は1984の子供たちを彷彿とさせた。

ただ、彼には多くの救いの手が差し伸べられていた。

ナチスの活動をこっそり行っている母親。

ナチスの党員として子供たちを指導しつつも、ジョジョをやさしく見守るクレンツェンドルフ大尉。

そして、「ユダヤ人も同じ人間なんだ」ということを身をもって教えてくれるエルサ。

一度洗脳された子供が自力で立ち直っていくのは難しい。

それもそのはず、今でも世界のあちこちで、洗脳されやすい子供が戦争の道具として使われているのだ。

 

【結局は人と人の関わり】

ヒトラーユーゲントの合宿で、ユダヤ人がいかに恐ろしい「怪物」なのかを教え込まれるジョジョ

エルサと初めて会った時も、怖くて怯えて、ほんとにウサギみたいだった(冗談)

けれど、彼女の人となりに触れて、「人として」彼女のことを好きになっていく。

初めはユダヤ人だから、というただの好奇心が理由だったかもしれない。

彼女の強さ、懸命に生きようと、世の中の流れに必死に抗う姿が彼を変えたのだ。

初めは戦争に行きたい行きたいと騒いでいたジョジョも、最後は本物の戦闘シーンを見ておじけづく。あれだけ武器を持ちたがっていたのに、戦争が、「人間同士の殺戮」でしかないということを目の当たりにして初めて気づくのだ。

こんなしょうもないことを……と。

 

【愛は平和へつながる】

そういう意味でも、エルサと彼を出会わせてくれた母の存在は大きかっただろう。

スカーレット・ヨハンソン演じる母親は、戦時中だというのに明るく、気高く、凛としていて、「絶対に負けるものか」という心意気を感じさせる。

無償の愛が、世界を平和に導くのだということを体を張って示してくれた。

クライマックスは、戦争の理不尽さに思わず拳を握りしめて泣いた。

平和のために戦う人も、結局は兵器や権力によって打ちのめされてしまう。

ただ、武器は相手を「制圧」できても、「平和」は生み出さない。

みんなが「平和」だと思っているのは、制圧した側にとっての安堵でしかなく、制圧された側には大きな悲しみが残る。

真の平和は、愛こそが導くのだと、わたしは信じている。

武装しなければ世界で生き残れない」と人々は言う。

だから、どの国も核兵器を手放せないでいる。

果たして、核兵器武装をすることが真の平和へとつながるのだろうか?

ろくに関わり合いもせず、上辺だけの情報で相手を憎んでいないだろうか。

愛することは難しい。相手のすべてを知ろうとし、受け入れる勇気が必要だから。

日本は特に、他国民の受け入れに積極的ではなかったので、余計に排他的になるだろう。

ただ、近年のグローバル化で分かったように、地球には思った以上にたくさんの国があり、文化がある。

地球を守るためにはみんなが手を取り合って生きる必要があるのだ。

 

自分たちが生きるうえで邪魔なものは「排除する」のではなく

分かり合おうと努力すること

これこそが今、世界に最も求められていることだと思う。

 

【レビュー】ロケットマン

世界の大スター、エルトン・ジョンの半生を、彼の曲とともに振り返るミュージカル調の映画。

成功者の彼も、順風満帆な人生ではなかった。

どん底を味わったからこそ描き出せるカラフルな人生。

心の鎧ともとれる奇抜な衣装の裏には、エルトンがずっと追い求めてきた「愛」への渇望があった。

 

【心に刺さったまま抜けない歌】

"I’m still standing after all this time
Picking up the pieces of my life without you on my mind"

 

映画を観終わってから、この歌詞をずっと自分の心に言い聞かせている。

 

映画の最後に歌われる「I'm Still Standing」は、エルトンが薬物やアルコールの中毒症状を克服する過程で登場する。

一度はどん底に落ちた自分でも、「僕はまだ立っている。色々あったけど、君(過去の自分)を頭から追い払って、(忘れていた)人生のかけらを拾い集めているんだ」

 

最近、仕事がつらい。

自分が夢と志を持って始めた仕事だけに、中途半端な形で投げ出したくはないし、まだまだやりたいことを何もやれていない。

だけど、つらいものはつらくて。

毎朝、起きると胃が痛む。

このままじゃいけないとわかっていつつも、どうしたら良いかわからなくて、

取り損ねていた夏休みの1日を使って、「ロケットマン」を観に来た。

 

この曲を歌う主演のTaronの姿は、

「Sing」の時から知っていたが、

あの時の爽やかさとは一味違う、人生の重みを感じさせるような歌声になっていた。

 

そして、この映画を通して初めて、

Elton Johnが一曲一曲に込めたストーリーというのが伝わって、

この曲を聴いている間は涙が止まらなかった。

 

わたしの今の状態を表すなら

「I'm Still Standing」という言葉がちょうどいい。

進んでいないかもしれないけれど、まだ崩れていない。立っている。

ここから負けずに歩み出すかどうかはわたし次第。でも、とりあえず生き残っているから。

Eltonの人生になぞらえるにはあまりにもちっぽけだけど、それでも24年間でたくさん、ギリギリ立っている状態を経験してきた。

私ならきっと、今の苦しい状態を次の未来へ生かしていけると思っているし、それを具現化してみせる。

 

【既視感】

さて、この映画のくだり

既視感があるなと思ったら。

Bohemian Rhapsodyの監督を途中交代した人と同じ人が監督だった。

おまけに、クイーンとエルトンはマネージャーが同じ人。

歌を、本人の人生になぞらえて展開する物語構成も同じだし、

FredyとEltonは共にゲイで、天才的シンガーで、ピアニストで、奇抜なパフォーマーで、AlcoholicでDrag addictで…共通点が多すぎる。

 

でも、2人とも魅力的なのには変わりない。

 

Bohemian〜のRamiは、まるでFredyをコピーしたかのような生写しの演技でアカデミー賞を獲得したが、

今作のTaronはなんといっても歌が俳優本人の声、というところがミソ。

個人的には体格も好みドストライクなのだが、歌声も甘く、美しく、表現力豊かで文句なし!!

どの歌も本当に魅力的だ。

 

【親の愛は子どもの人生を一生左右する】

今作で印象に残ったセリフが二つある。

 

「あなたを産んだせいで私は苦しんでばかりよ」

 

こんなセリフが母親から飛び出したら。

耐えられるだろうか。

 

私は産まれてからずっと

「さなちゃんを産んで幸せだよ」

「パパとさなちゃんと家族になれてよかった」

と母から言われ続けてきた。

自分でも、これ以上ない、素敵な家族だと思う。

でももし、子どもを産むことで不幸になってしまう母親がいるのだとしたら………自分の置かれた状況からは、全く想像できない。

 

そしてもう一つは

「ハグして?」

幼いEltonが何度も発する言葉。

その言葉を口にしても、叶えてもらえたことはなかった。

 

ハグというのは、凍った心を溶かしてくれる尊い行為だと思う。

実際、悲しいことがあって母に気持ちを吐露し、泣きついた時、暖かく包み込んでくれた感覚は、今でも覚えている。

東京からの行き帰り、ハグして送り出してくれたり、迎えてくれた嬉しさも、目を閉じればすぐ思い出す。

 

そういうあたたかな思い出が

少年Eltonには一切ない。

「愛して欲しい」

という心の叫びが歪んだ果ては、

音楽だけでは解消しきれなくなってしまったのだろう。

それほどにも膨れ上がった愛への飢え。

やはり、小さな頃愛された経験というのは、その先の人生を大きく左右されるのかもしれないな、と思った。

 

近頃は子どもに愛情を注がず、

挙句命を奪ってしまうような親もいる。

親になるということは、

愛されていた立場から

愛を注ぐ立場になることだと私は考える。

だから、まだ愛されていたい盛りならば、親になるには早い気がする。

子どもに愛情を注ぐのと同じくらい、パートナーや家族からたくさん愛を受け取れる環境にあることが、「持ちつ持たれつ」の良い関係だと思う。

 

この先、いつ自分が親になるのかは想像できないが、

少なくとも今の私はまだ「愛されていたい」ままだ。

 

ひとまず、自分の仕事を誰かに「愛して」もらえるように。

そして、ありのままの素直な自分を、大切な人に「愛して」もらえるように。

そして相手のことを心から「愛せる」ように。

 

You know I’m still standing better than I ever did

"いい?わたしは今までやってきたよりもずっと確かな足で立ってるよ"

 

【レビュー】Green Book―人間同士の付き合いをしよう―

Green Book

★10.0


Green Book - Official Trailer [HD]

 

今年度アカデミー賞の作品賞を受賞した話題作。3月1日に公開したばかりですが、早速観に行きました。

 

あらすじ

実話をもとにした物語。1962年、ニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を勤めていたイタリア系移民、トニー・”リップ”・バレロンガ。ひょんなことから、彼のもとに「黒人ピアニスト」の運転手としてのスカウトが舞い込んできた。その黒人の名は、ドクター・シャーリー。カーネギーホールの上に住居を構え、アメリカ北部中の有名どころで演奏経験を持つたぐいまれな才能の持ち主だ。しかし、そんな彼が次に演奏ツアーを望んだのは、いまだに黒人への差別が色濃く残る南部の町。二人は、当時存在していたGreen Bookという、黒人用旅行ガイドブックを頼りに、演奏旅行へと出かける

 

【1960年代アメリカでの黒人差別】

 誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、「公民権運動」。「I have a dream...」と謳ったキング牧師や、マルコムⅩなどの名前はあまりにも有名だ。1960年代といえば、アメリカの黒人たちが自分たちの権利を認めてもらおうと必死の闘争を行っていた時代である。それまで黒人たちは「ジム・クロウ」という法の下、公然と差別を受けてきた。白人と黒人は公共の場で席を共にすることはなく、常に隔離されていた。白人にとってこれらの行動は「分離すれども平等(白人と黒人を分離しても、成すことが同じであれば差別には当たらない)」と正当化されていた。いくら、南北戦争を経て奴隷解放宣言が出されたとはいえ、白人たちにとって黒人とは、自分たちよりも知能が劣る人間で、召使や、下級労働をさせるにふさわしい存在である、と考えられていたのである。長きにわたり激しい差別を受けながらも、黒人たちは自分たちの「故郷」であるアメリカに対し必死に貢献をした。その代名詞ともいえるのが、第一次&第二次世界大戦での戦力提供である。この貢献もあって、公的な差別をがいち早く撤廃されたのはトルーマン大統領時代、軍隊内部のことであった。しかしながら、同大統領時代は朝鮮戦争の勃発もあり、軍隊内部以外、国家全体の公民権問題までは手が回らなかったのである。続くケネディ大統領時代に初めて、アメリカは国家として黒人の公民権問題に向き合うこととなった。今作は、まさにその渦中の話である。

 今作に登場するドクター・シャーリーは、そのような時代に生まれ育っていながらも、高等教育を受け、教養と素養が備わった人物であった。ホワイトハウスでの演奏経験があるなど、北部の人々は少しずつ黒人に対しての接し方が寛容になりつつあった。それは、キング牧師がワシントン大行進を行うなど、黒人の訴えが「非暴力」に基づくものであったことも関係しているのではと考えられる。しかしながら、南部では事情が大きく異なった。白人警察官の私情が逮捕に結びついたり、根強くジム・クロウの慣習が残っていたり…黒人にとってはまだまだ生きづらい社会だったのである。

 

【悪しき慣習を変えるには、誰かが“勇気”を出さなければならない】

 今作にはそんなメッセージが込められている。

 まずは、ご存知ドクの勇気である。自らが激しい差別に遭うことを予測できながらも、わざわざ危険な場所へと足を運ぶ。そうでもしなければ、悪しき習慣は変わらないからだ。

 人はある程度の「想像」を以てして、物事に接する。しかしながら、その「想像」は「偏見」と紙一重な場合がある。例えば、黒人はみんな○○を食べている~といったトニーの発言がそうだ。確かに、その想像通りの黒人はいるだろう。けれども、全員がそれに当てはまるかというと、必ずしもそうではない。その人の生き方や考え方は、その人自身に接してみないとわからない。固定的な観念は、時に人間関係の構築の障壁となることがある。

 「わたしはわたしだ」というドクに対し、今まで黒人への偏見を丸出しにしていたトニーは徐々に考え方を改めていく。彼にとって、今まで良いイメージを抱いていなかった黒人の下で働くということは、とても勇気のいる決断であっただろう。それだけではなく、ドクとの交流を通じて社会のゆがんだ側面を目の当たりにし、人間としての分別をわきまえていくようになる。彼はイタリア系の移民であるから、白人の見た目をしていても差別を受けることが多い。「俺のほうがよっぽど黒人みたいな生活をしているんだ!」そう訴える彼に「白人でも、黒人でもないような私は何者なんだ?」と涙を流すドク。誰もが、自分の境遇が一番悲惨だと思いたくなる。けれど、じぶんよりもずっと、多くを我慢してこざるを得なかった人物を前に、トニーは考え方を改めていくのである。

【「黒人」「白人」という枠ではなく、「人間」として】

 多くの勇気を振り絞って出かけた二人の旅は、人種の枠を超え、人間対人間の付き合いになっていく。同じ人間なのになぜ差別されなきゃならない?昔からの慣習?そんなのは知らない。嫌なことにはNoとはっきり言う。それは、人種関係なく認められるべき権利だ。差別を押し通そうとするレストランにNoを突き付けるシーンは爽快だ。

 旅を終えた彼らの関係はBossと雇われ者の関係を超え、良き友になっていた。

 誰かと関係を築くというのは非常に難しい。人は、自分の思考や経験に基づいて他人の行動や心情を想像・判断する。そこには食い違いも多く、理解は並大抵の努力でできるものではない。家族ですら難しいのだから、赤の他人、ましてや人種や育った環境の異なる人であればなおさらである。

 しかしながら、我々は皆同じ人間だ。相違があるのは当たり前であって、理解するために「相手を受け入れる」という行為が必須なのである。はじめから、「○○人は~」というステレオタイプな考え方を以て相手を判断してはならない。

 

【音楽が動かす力】

 私は3歳からピアノを習ってきた。それ以降、吹奏楽、声楽、合唱と様々な分野に手を出しながら、今も音楽を続けている。そんな中、音楽とは、言語を越えたコミュニケーションツールだな、とつくづく思う。言語は、翻訳を伴うが、音楽にその行為は必要ない。楽器を持ち寄って、音を出せば、それだけでコミュニケーションになるのである。そこには、演奏者の自分らしさが表現される。

 トニーは間違いなくドクの演奏に感化されていた。素晴らしいピアノを奏でるドクの姿を受け入れない南部白人たちの姿勢に憤りを覚えるようになっていったと思う。「黒人」というだけで、才能ある人でも否定され、下劣に扱われる。その理不尽な社会の姿に気づけたのは、ドクと出会い、彼の音楽に触れることができたおかげであったと思う。

 音楽で印象的なシーンがもう一つ。終盤、二人で入ったバーで奏でるドクの演奏だ。それまで、上流階級者の下で演奏していたドクはちっとも楽しそうには見えなかった。ところが、この時ばかりは、自分らしさを思う存分発揮して、キラキラの笑顔を見せていたのだ。

 私自身、音楽を続けてきて「楽しさって何なのだろう」と、哲学的な悩みに苛まれることがしばしばだった。誰かのために、とか誰かに必要とされた、とかいう理由を付けて演奏する音楽ほどつまらないものはない。芸術は衝動だ。と言うのが私の結論だ。自分の心が動かされたその瞬間に奏でることに真の楽しさが眠っていると思う。ドクの輝くエガを見て、わたしにもそんな瞬間がほしいなと思った。

 

【人を素直に受け入れる心】

 主人公・トニーはお世辞にもきちんとした教育を受け、教養がある人物、などとは言えない。英語は度々間違うし、汚い言葉遣いだらけだし、しまいには怒ると言葉より先に手が出る。けれど、そんな彼がほかのだれよりも優れている点は、「人を認める力」だと思う。

 偏見だらけだった黒人相手に、次々と良いところを見つけ出す。寂しそうな姿を気に掛ける。いつしか彼の心は「黒人」という障壁を取り払い、一人の人間として魅力的なドクを理解し、受け入れ、守ろうという方へ向かっていた。

 教養がある人ほど、ステレオタイプに陥りやすいと思う。何も知識がない、まっさらな状態であれば、何もかもが新鮮で、新しいことを知れる喜びもひとしおだ。誰かに接するとき、知らずのうちに築かれている「枠組み」をどう取り外すかが、心の距離を縮める大切なカギなのではないかと思う。

 

【まとめ】

『ムーンライト』で初めてみたマハーシャラ・アリ、こんなにも寡黙な人物をかっこよく演じ切れるとは…オスカー俳優にふさわしい名演技だった。

そして『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズからのファンだったヴィゴ・モーテンセン。彼だからこそ、トニーの役が務まったのだと思う。用心棒としての顔から、ドクを思う優しい顔つきまで、表情豊かな演技が感情移入をより一層深めてくれた。

今作の制作にかかわった人物には、過去の発言で物議をかもすなど、残念な行動がみられる人も多くいる。日本では薬物接種で捕まった某俳優の出演作を自粛する動きが多くみられているが、今作は制作陣のことはさておき、現代の人種差別や偏見を考えるうえで非常に大切なメッセージを伝えてくれる。ぜひ、自粛の流れにのまれずに多くの人が見て、何かを感じ取ってくれることを願っている。